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ユキポン通信20

 投稿者:ユキポン  投稿日:2007年 6月29日(金)21時28分51秒
  成蹊大学鉄研OB及び現役の皆さんお元気ですか。梅雨に入ったというのに天気が良いのか悪いのかわからないような日が続いてますね。さてそんな中、私は手持ちの9600型SL(HO)のブレーキシューを組んでおりました。この9600は4年程前にヤフオクで珊瑚の完成品(たぶん)を買ったもので、プラスチックのブレーキシューが付属しておりました。プラ製のブレーキは如何にも安っぽく、また、取り付けビスの締め具合によってはシューがロッドにひっかることもあり、いずれ真鍮製の物に交換しようと思っていました。そんな時ヤフオクにお目当ての珊瑚の9600用ブレーキセットが出品されていましたので入札したところ運良く落札できました。落札後2週間程ほうっていたのですが、ようやくやる気になったので半田で組みました。古い物なので歪み等があり、それを是正したりロスト流し込み用の足を削ったりで組む前にかなり手間がかかりました。9600の様に動輪感覚が密な機関車は、大体絶縁側の動輪がブレーキに接触するものです。組み立て完了後ブレーキを本体に取り付けて試運転したところ、案の定機関車はピクリともしません。そこで、ブレーキを本体につけたまま半田鏝を使って、極力ブレーキが動輪に接触しないような位置に微調整したのですが、機関車はなんとか動くのですが、足元から火花を散らしながら走る有様です。動輪のフランジがまだ接触しているようですがこれ以上の調整はできません。そこで、以前作成した8620の場合と同様にブレーキアームの動輪に接触していると思われる所を回転ヤスリで削ってようやくスムースに走るようになりました。先週吹きつけ塗装も完了し本体に取り付け、足元がぐっと引き締まりました。次は古いDH13モーターの缶モーターへの交換です。実はこの缶モーター(マシマ1628)はC11のモーターを交換しようとGWに鉄道模型市で購入したものですが、C11の火室の幅が狭くこの缶モーターが収まらないことが判ったのです。止むを得ず9600に取り付けようと思ったのですが、9600もボイラー下の欠き込みが狭く現状では収まりません。幸いボイラー下は見えないところなので、ヤスリで削って何とかモーターが収まるところまで広げました。でもこのままでは缶モーターはフレームに取り付けられません。モーター取り付けビス穴は棒形モーター用に明けているため缶モーター用の台座を作成し、それを介してフレームにモーターを取り付けることになります。そのため1亳真鍮板から台座をラケット形に切り出し、モーターの妻側の取り付けビス用にラケットの丸型部分を90°に折り曲げました。後はモーターのシャフト廻りの盛り上がりをはめ込むための6.2个侶蠅函▲癲璽拭室茲衂佞吋咼考僂2亰蠅鯡世韻譴亟偉擦任后生憎手元には6.2mmのドリル刃がありません。近々ドリル刃を購入し、穴を明けてモーターを交換し4110と重連運転を楽しもうと思っております。暑さもこれからが本番体調に気をつけて多いに鉄ちゃんしましょう。では今日はこのへんで。  

ユキポン通信19

 投稿者:ユキポン  投稿日:2007年 5月25日(金)22時07分31秒
  成蹊大学OB及び現役の皆さんお元気ですか。今月もユキポン通信の始まりです。今日は雨が降っていますが、このところ暑くなってもう夏の気配ですね。ところでGWは如何でしたか。私は先月の予告どおり「鉄道模型市」に行って来ました。始めて行ったのですが、大勢の人で賑わっており、私はKATOのトラ45000とマシマの缶モーターを買いました。私が所有する「C11」のモーターをいずれDH13から缶モーターに交換し、「8620」と重連で走らせたいと思っております。それからターンテーブルもいよいよ着手しました。先ず5.5mm厚合板に直径270mmの円形の穴を空けました。問題は駆動装置です。お座敷レイアウトのため、レール面下が浅くターンテーブル下盤以下が13.5mmしかありません。これでは下盤真下にモーターは付けられません。とりあえず、こわれたパソコン用のプリンターから外した歯付きベルトを利用して離れたモーター軸から伝動しようと思い、プラ盤を削りだしてベルトの歯ピッチに合ったプーリーを作ろうとしました。歯のピッチが2.035mmプラ盤を59R程度に切り出し、2°毎にヤスリで刻みを入れ、ドリルレースでベルトの歯ピッチに合うかどうか様子をみながら削っていったのですが、プーリーを真円にするのが難しく、ピッチが広い所と狭い所が出来てしまいうまくいきませんでした。止むを得ず、次の手段としてシャフトドライブを計画しております。忙しい中少しづつ作業しておりますので中々進みませんが、良い物にしたいと考えております。もうすぐ梅雨ですね。天気が悪い時は鉄道模型に限ります。OBの皆さんも学生時代を思い出して大いに鉄道模型を楽しみましょう。ではまた  

ユキポン通信18

 投稿者:ユキポン  投稿日:2007年 4月26日(木)01時08分35秒
  成蹊大学鉄研OB及び現役の皆さんお元気ですか。もうすぐGWですね。GWも大いに鉄ちゃんしましょう。私は4/30浜松町の貿易産業センターで開催される鉄道模型市に行こうと思っています。それ以外は構想3年、いよいよターンテーブルの作成に取り掛かろうと思っています。私は1969年鉄研現役の頃ターンテーブルを作ったことがあります。上路式の赤いターンテーブルで、自分で言うのも変ですがすばらしいものでした。動力はマブチモーターを連続平ギヤーで約3000:1に落とした物で、「ギャオーン」という轟音とともに回転しました。欠点は1方向にしか回転できず、止めるべき線を僅かに超えた所でストップさせ、逆回転させてストッパーに引っ掛けて止めるというものです。私が卒業後あのターンテーブルはどうなったのでしょうか。1999年に部室を訪ねた時はありませんでした。捨てられてしまったのでしょうか。もし誰かの家で保管されているなら幸いです。だれか消息をご存知の方がいらっしゃいましたらお教えください。
 さてそんな中、3/28・29遠山へ行って来ました。「遠山」、わかりますか「遠山森林鉄道」です。遠山森林鉄道は1973年まで使用されていた路線で、いつかいつかと思っていたのですが、漸く実現しました。1日目は自転車を携えて朝1番の新幹線で豊橋へ、飯田線に乗り換え平岡で下車。遠山林鉄は遠山川に沿って軌道があり、途中の北又渡で北線と西線とに分かれておりました。今日は北又渡から北線を訪ねる予定で、先ず、自転車で遠山林鉄貯木場跡にあるレストラン「梨元ていしゃば」を目指しました。梨元で昼食を摂ろうと思っていたのですが何と休みでした。他に食事をする所はありません。止むを得ず空腹を抱えたまま遠山川に沿った林鉄跡の林道を進みました。やがて、この先崖崩れの表示あり。こちらは自転車、あわよくば崩落現場を強行突破してでも行こうと思っていたのですが、いよいよ崩落地点という所で何やら前方より黒っぽい動物がこちらに向かって来ます。遠くてはっきりとは確認できませんが猪のように見えます。あわてて自転車をUターンさせて来た道を戻り、急坂を駆け上がり予約をしていた民宿のある集落へ行きました。昼食も摂っていないので腹ぺこでこれ以上動く気が無くなり14:30ころ宿に着き、今日の行程はここまでです。2日目は朝から小雨ですが、天気予報では回復基調とのこと。雨具を着こんで9:15頃出発。今日は北又渡から西線を訪ねる予定です。北又渡では落石に埋もれた林鉄の落石覆いが見られました。そこからは西線跡の林道を進みます。林道の終点「便ヶ島」(たよりがしま)は林鉄の連続ヘアピンカーブがあった所です。ヘアピンカーブは途中まで舗装されて駐車場やキャンプ場があります。キャンプ場に自転車をデポして徒歩で林鉄終点の西又渡を目指します。徒歩で20分程度です。便ヶ島の連続ヘアピンカーブの最上部には崩れかけた木橋が残っていました。また、終点の西又渡には小さなターンテーブルも残っていました。そんなこんなで便ヶ島に戻ってきた時は既に13:00。平岡駅に16:00までに着かないと帰りの電車に間に合いません。そこから林道を必死に自転車を飛ばして、途中少し時間の余裕が出来たので、梨元の少し平岡寄りにある木沢小学校へ寄ることが出来ました。木沢小学校は既に廃校になっていますが、校舎内には林鉄に関するものが展示されています。今回のツアーではぜひ行きたいと思っていた所です。短い時間でしたが行けて良かったです。更に自転車を飛ばして平岡駅には15:30に着きました。私が林鉄跡を訪ねるようになったのは1973年からです。最初に訪れたのは乗鞍でした。しかしその時はまだ遠山林鉄は現役だったのです。「何であの時」と後悔するのですが後の祭りです。でも、大学を卒業して36年経った今も鉄道への情熱を失わず活動できるというのも大変幸せなことと思います。OBの皆さんも現役の頃を思い出して鉄道に親しんでいきましょう。では楽しいGWを
 

ユキポン通信17

 投稿者:ユキポン  投稿日:2007年 3月25日(日)23時45分11秒
  成蹊大学鉄研OB及び現役の皆さんお元気ですか。暑さ寒さも彼岸まで、成蹊大学キャンパスの桜もそろそろ咲き始めているのではないでしょうか。さて、今月の私はディーゼル三昧でした。先ず3/14には「わたらせ渓谷鉄道」に乗りに行きました。以前OB会を「わ鉄」で開催するとの話があったのですが、当時は仕事の都合で行けずに残念でした。いつかいつかと思っていたのですが、漸く実現しました。「わ鉄」訪問の最大の目的は、終点「間藤駅」から延びている旧精錬所までの専用軌道の廃線跡の探訪でした。はたして残っているのか、残っているとしたらどんな形になっているのか。わくわくしながら「間藤駅」を降りるとレールはみごとに残っていました。精錬所まで2ヶ所崖崩れがあり、踏み切りのレールは撤去されており、渡良瀬川の鉄橋は通行禁止になっておりましたが、通行禁止の鉄橋以外はほぼ線路上を通行し精錬所まで行きました。残念ながら精錬所は進入禁止で入れませんでした。その他、廃墟となった銅山の従業者住宅等も見て感慨深い探訪でした。
更に3/22は廃止間近の「鹿島鉄道」、続いて関東鉄道「龍ヶ崎線」「常総線」とディーゼル3連発、そして筑波エクスプレスに乗って帰ってきました。今月のディーゼル三昧は未だ終わりません。3/20は私の〇〇回目の誕生日でした。今更だれもプレゼントなんかくれはしません。以前「自分で自分を褒めたい」と言った人がいましたが、私は自分で自分にプレゼントをしました。それはトミーの「DF50」型機関車(HO)です。ユキポン通信9に書きましたが、「DF50」は思い出深い機関車です。ようやく私のレイアウトにも蒸機以外の機関車が入線しました。次の運転会では「DF50」と「8620」のプッシュ・プル運転を実現したいものです。OBの皆さんにもそろそろ定年退職となる人がいらっしゃると思いますが、定年後こそ鉄道模型再開のチャンスです。鉄道模型こそ定年後の人生を充実したものにしてくれることでしょう。これから春本番、多いに鉄道を楽しみましょう。では又。
 

ユキポン通信16

 投稿者:ユキポン  投稿日:2007年 2月28日(水)18時30分20秒
  成蹊大学鉄研OB及び現役の皆さんお元気ですか。2月も今日で終わりです。現役の皆さん、期末試験は終わりましたか。いよいよ春休みですね。春休みは多いに鉄ちゃんしましょう。さて、そんな中、2月11日私は友人の紹介で某鉄道模型クラブの運転会に参加しました。それを先日完成したばかりの「8620」のデビューの日としました。8620は一応完成はしたものの、中々走りの調子が上がりません。2月10日も1日中調整したのですが、相変わらずギクシャク走りでデビューできないかも知れないとの不安が走りました。ところが、深夜になってようやく第1動輪のフランジが第2動輪のブレーキシューアームの上部にかすかに接触しているのが分かりました。既に塗装も終わっている状態なので、ハンダ付けをやり直すことはできず、幸い接触している箇所は見えないところなので、回転ヤスリで削ったところ、ようやくスムースに走る様になりました。運転会当日私は「8620」の他「D51ナメクジ」「C11」及び客車、貨車を持参しました。8620は上々のデビューを果たしました。参加者の1人が車載カメラ付きの車両を持参していたのでテレビのモニターで映像を楽しむことができました。そこで、複線のエンドレスの外側を8620を走らせ、内側から車載カメラ付きの車両で追いかけさせました。スケールスピード50〜60/h程度で走らせるとロッドの動きが実感的で、まるで本物の様です。いつかは車載カメラが欲しいと常々思っておりましたが、今年は絶対購入したいと思っております。夜は第2機関区と称する飲み会。私は酒は飲みませんが、模型の話で大盛り上がり。本当に楽しい1日でした。OBの皆さんで卒業以来模型から遠ざかっている方、若い頃を思い出して模型を再開するとこんなに楽しい物だったかと感動すること間違いありません。特にこれから定年を迎える方にはお勧めです。老いも若きも多いに模型を楽しみましょう。ではまたお会いしましょう。  

ユキポン通信15

 投稿者:ユキポン  投稿日:2007年 1月24日(水)21時58分31秒
  成蹊大学鉄研OB及び現役の皆さんお元気ですか。新年明けましておめでとうございます。正月休みは如何お過ごしでしたか。私は今年も鉄分むんむんの正月休みを過ごしました。毎年正月は郷里の福岡で過ごすのですが、只行くだけでは面白くないので、山陰へ寄り道して餘部鉄橋へ行きました。当日(12/28)は山陰地方は吹雪でした。でも雪の餘部も中々見ごたえがありました。夢にまで見た餘部鉄橋。「行って良かった。本当に行って良かった」というのが感想です。まだ行った事がない方はぜ行って見て下さい。感動すること間違いありません。福岡での休みは自転車に乗って廃な物巡りです。12/30は佐賀県唐津市にあるJR筑肥線の旧線跡の探訪。唐津線山本駅近くの築堤と陸橋跡を発見しました。12/31は旧JR宮田線終点の筑前宮田駅から出ていた貝島炭鉱専用線跡の探訪。ここでも築堤と鉄橋跡を発見しました。この後更に北上し、今年3月で部分廃線になる西鉄宮地岳線に乗って帰りました。年が明けて1/5は、以前からずっといきたいと思っていたJR久大本線「豊後森駅」に隣接している機関区跡を訪ねました。ここには今は廃墟となっているターンテーブルと扇形庫があります。既に機関区のレールは全て撤去されており、草原に佇む廃墟ですが、そこに立って昔日の賑わいぶりを偲ぶのも感慨深いものがありました。もっと色々行きたい所はあったのですが、日程と天気の関係で3回の探訪になりましたが、まずまずの成果が得られたと思います。更に、横浜の自宅に帰る際は例年新幹線を利用していますが、今年は寝台特急「はやぶさ」を利用しました。以前は博多−東京の寝台特急は4本あり、3本が博多以南まで運行され、昭和40年頃まで長崎行きの「さくら」がC60に、熊本行きの「みずほ」がC59に、西鹿児島行きの「はやぶさ」がC61に夫々機関車が交換され、よく線路際で蒸機の写真を撮ったものです。現在の牽引機は鹿児島本線がED76、関門トンネルがEF81、山陽本線以東はEF66で、客車も機関車も老朽化が目立ち行く末が心配されます。更に更に、1/17には3月で廃止になる鹿島鉄道に乗りました。JR常磐線の石岡で鹿島鉄道に乗り換えるべく跨線橋を渡ると時が逆戻りしたような錯覚に陥ります。ホームには昭和30年代に製造された単行の気動車が、ガラッガラッガラッガラッとアイドリングの音を立てながら停まっていました。床は木の板張りです。エンジンの音が高くなって発車です。やっと動いているような緩慢な加速です。そんなこんなで終点の鉾田まで行って来ました。沿線にはカメラを構えるマニアの姿も見えました。1時間弱の行程ですがまるでタイムマシンに乗ったような体験でした。皆さんも無くなる前にぜひ訪れて見て下さい。これからが寒さも本番。健康に気をつけて。ではまたお会いしましょう。  

ユギポン通信14

 投稿者:ユキポン  投稿日:2006年12月24日(日)21時50分16秒
  成蹊大学鉄研OB及び現役の皆さんお元気ですか。今日はクリスマスイブですが皆さん如何お過ごしですか。私はこの連休は作成中の「8620」の仕上げ作業を行っておりました。実は11/26にハンダ組作業は終了していたのですが、その後試運転中にテーブルから落下させ一部破損させてしまいました。曲がった部品をはずし、たたいて伸ばしハンダ付けをやり直すという気がめいる作業ですが、ようやく昨日完了し、今日はサフェーサーを吹いて更に艶消しの黒のラッカースプレーを吹付けました。乾燥後点検して見ると所々吹き残しが見られたので後日補修の必要があります。でも、何とか年初に掲げた目標の「今年中の完成」が達成できそうです。さて、話は変わりますが、皆さんは正月休みのご予定は如何ですか。私は郷里の福岡に帰りますが、只真っ直ぐ帰るだけでは面白くないので、山陰線に寄り道し「餘部鉄橋」を渡り、また写真に収めて来る予定です。戻りは新幹線では面白くないので、寝台特急「はやぶさ」に乗ります。以前は九州⇔東京の寝台特急は4本もあったのですが、今は「はやぶさ」だけになってしまい寂しいかぎりです。寝台車にも色々と思い出がありますが、最も印象に残っているのは、最後尾の荷物車の乗務員室扉がロックされていないのをいいことに、駅に停まった時に最後尾へ走っていき乗務員室に勝手に乗り込み、昔の「スイテ」や「マイテ」の展望車気分を味わい、ひとしきり楽しんだ後停車時にまた自分の席まで走って戻るというものです。今ではとてもできないと思いますが、そんなことが出来るおおらかな時代だったのでしょう。今年も残り少なくなりました。皆さんはどんな年でしたか。私は今年も多いに鉄ちゃんし、来年も多いに鉄な年にしたいと思っております。いつも心に鉄道を。では皆さんよいお年を。  

ユキポン通信13

 投稿者:ユキポン  投稿日:2006年11月26日(日)21時39分55秒
  成蹊大学鉄研OB及び現役の皆さんお元気ですか。今月もユキポン通信の始まりです。先月は№12を11と間違えて大変失礼しました。この場を借りてお詫び申し上げます。さて、欅祭も終了したことと思いますが、我が鉄研はどうなっているのでしょうか。非常に動向が気になるところです。それはそれとして私の最近の活動から。前回予告したとおり10/29には鉄道模型ショウに行きました。私は最近購入したD51ナメクジを持ち込んで殆ど運転会場で遊んでいました。おかげで今月号のRMモデルスの鉄模ショウの記事の運転会場の写真の左端に私の体半分が写っております。更に11/3・4には立山・黒部へ行きました。4日は初めて黒部峡谷鉄道に乗りました。当鉄道は、山の中を走りますが、森林鉄道というより、鉱山鉄道という趣でした。これで私が乗車したナローの鉄道は遊園地や観光用を除いて「木曽森林鉄道」「下津井電鉄」「立山砂防軌道」「黒部峡谷鉄道」。現役の姿を見たのは「東洋活性白土」です。この内2つが610亠梓屬箸いΔ里睫滅鬚い隼廚い泙后もうじき12月。めっきり寒くなってきましたが、皆さんお風邪などめしてはおりませんか。私は11/10から重症の風邪をひいてしまい、まだ熱が完全に下がりきりません。でも今ひいておけば、正月休みは風邪もひかずに思い切り鉄ちゃんできると前向きに考えて元気に生きて行きたいと思います。では、今日はこの辺で。またお会いしましょう。  

ユキポン通信11

 投稿者:ユキポン  投稿日:2006年10月25日(水)22時45分25秒
  成蹊大学鉄研OB及び現役の皆さんお元気ですか。ユキポン通信も今回で12号を数えました。よくネタが尽きないねって。ご心配なく、持ちネタだけで3年分あります。更に日々の活動があるのですから、話は死ぬまで尽きません。さて、9月に天賞堂よりHOの「D51ナメクジ」(サウンド付)が発売されました。ナメクジは私の好きな機関車の1つです。私がD51に半流形があることを知ったのは高校生の頃です。一度見たいものだと思っていたのですが、昭和40年の春鳥栖機関区へSLの写真を撮りに行った時初めて見ました。「D5146」でした。そしてこれが私の見た最初で最後のナメクジでした。常々私のレイアウトを走らせたいと思っていましたので、この機会に思い切って購入しました。先日我が家のレイアウトで試運転をしました。とてもかわいいドラフト音を立てて走ります。単調な繰り返し音を聞いていると言葉に聞こえるものです。私には「デカパン、デカパン、デカパン、デカパン」或いは阪神の投手のように「フジカワ、フジカワ、フジカワ、フジカワ」とも聞こえます。今週末は大田区産業会館で「鉄道模型ショウ」があります。私は29日に行く予定で、当日は午前中から持ち込み運転会場でこの「D51ナメクジ」を走らせて遊んでいますので、私に会いたい人はぜひ来てください。ところで話は変わりますが、先日神奈川県松田町にある「西平畑公園」に行きました。それがどうしたって、その公園には「お山のポッポ鉄道」というのがあります。公園のポッポ鉄道なんて如何にも子供だましのSLもどきのバテロコというイメージを持ちますが、これが中々侮れないのです。軌間は約200mmで、ちゃんと石炭を焚いて走るシェイギヤードロコなのです。力も強く急勾配の路線を人を乗せた客車を牽いてグイグイ上っていきます。コースは1.2劼播喘スイッチバックもあり1回20分です。公園の中の展望レストランも抜群の眺めで、眼下を走る小田急線や御殿場線の電車が模型の様に見えます。大人でも十分楽しめること間違いありません。ぜひ行ってみてください。ところで、欅祭が近くなりました。何年も行っていませんが、鉄研は今どうなっているのでしょうか。OBとしてもとても気になっております。どなたか現況をお知らせ下さい。では、またお会いしましょう。  

ユキポン通信11

 投稿者:ユキポン  投稿日:2006年 9月24日(日)12時11分0秒
  成蹊大学鉄研OB及び現役の皆さんお元気ですか。この度は「安倍晋三氏」が自民党総裁となり、成蹊大学出身者として初の総理大臣が誕生することになります。OBとしても大変喜ばしい限りです。さて、昨日23日は中野サンプラザで「第2回軽便鉄道模型祭」が開催されたので行って参りました。会場は企業ブースとレイアウトブースの2室が用意されていましたが、どちらも大勢の人でこんなマイナーな物に興味のある人がこんなにも居るのかと驚きました。レイアウトブースでは「木曽森林鉄道助六作業軌道」と「沼尻鉄道」をイメージしたレイアウトがあり、夫々運材列車やガソリン動車等を走らせていましたが、集電状態の問題か走りはいまいちでした。やはり9丱押璽犬納嵶召盞擇、固定式ではなく組み合わせ式のレイアウトではジョイント部の集電が問題の様です。私が林鉄や軽便に興味を持ったのは小学生の頃に購読していた「模型とラジオ」という本の昭和30年代中頃の記事に、木曽森林鉄道が紹介されていたのを読んだのがきっかけです。こんな世界があるのかと非常に感動しました。いつか訪ねて見たいと思い、ようやく昭和50年3月廃止される直前に訪ね、便乗もさせてもらいました。その他にも各地の森林鉄道(跡)を訪ねましたが、当時は現在とは違い情報が少なく、古い山地図から探し出しては行ったものでしたが、何れも寂しく廃線跡を辿るだけでした。辛うじて現役の姿を見られたのは林鉄ではない「下津井電鉄」「東洋活性白土」「立山砂防軌道(今も現役)」だけでした。訪ねた廃線跡は「八ヶ岳」「飛騨小坂」「奈良井」「薮原」「信濃大町」「神岡」「乗鞍」etcです。私が本格的に林鉄跡を訪ねるようになったのは昭和48年からです。学生だった頃の昭和42〜46年にはまだ日本には軽便や林鉄は残っていたのですが、なぜその頃に行かなかったのか後悔の念にたえませんが後の祭りです。でもその頃は金もなく、昭和48年は勤めてから2年が過ぎようやく生活にもゆとりが出来た頃です。やはりこれが精一杯ではなかったかと思います。
「暑さ寒さも彼岸まで」めっきり涼しくなってきました今日この頃です。秋の夜長は鉄道模型にかぎります。「何時も心に鉄道を」ではまたお会いしましょう。
 

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