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カショカダ(漢字忘れた)の夢

 投稿者:七生踊  投稿日:2008年 9月 4日(木)01時58分35秒
返信・引用
  日記にも書いたけど、ネタになるのでこっちにも(;´∀`)




そこは山奥だった。

それにも関わらず人気が多かったのは、その人々が普段からそこに住んでいるからではなく、何かの祭りの最中らしかった。

両脇には、木造の巨大な門があった。幅はそれほどもないが、とにかく高さがハンパなかった。

果たしてただの木材だけで、本当にこの高さの建物が作れるのか。…相当に高度な、例えば力学などの、技術が使われているのに違いない。

そう思えるくらいの高さだった。

ここでは相当に学問が発達している、ということはわかったが、車やらケータイやらの機械類は一向に見当たらない。

行き交う人々の中には様々な人種、格好の人が入り混じっていて、果たしてこの国にはどの民族がメインに住んでいるのか、全くわからなかった。

しばらく進むと、何か公共機関めいた建物があった。

その建物はさっきのように木造ではなく、普段自分達が目にしているような、金属とコンクリートっぽい素材でできた見慣れた建物だった。

電話も車もあったが、人々はよほどの緊急事態にしかそれらを使わないらしい。

暮らしは一見、人力に頼る、近世的なものに退行しているようにも見えるが、先ほどの門といい、人々の豪華な服といい、様々な人種・民族が一様に同居していることといい、

ここに暮らす人々が、現代と変わらないか、その前後くらいの高度な技術を持ち合わせていることがよくわかった。

つまるところ、技術はあっても濫用はせず、生活に必要な最低限のところにそれを集中させているらしかった。

皆が一様にゆっくりなら、日常から早く動く必要はない。それは、人の命が懸かったときくらいでいいもので。

そこの時間は、日ごろは人間が自分の力で無理なく動ける速さで、時間が流れていた。電子の速さでは動いていなかった。

また、宗教もだいぶ身近なものになったようだった。

今ここで、私たちが科学を物差しにして物事を推し量るように、そこの人々は、物差しに宗教を利用することもあった。

どちらかがどちらかを押しのけようとすることはなく、それぞれが役割を与えられて上手い具合に共存しているようだった。




近未来…

のように見えたが、題のように思うことにしよう。
 
 

歴史学の意義  「純愛病」を例に。

 投稿者:七生踊  投稿日:2008年 6月19日(木)01時19分39秒
返信・引用 編集済
  実はウチは漢文学方面の研究者になりたいと思う前は、漠然と史学関係のことがしたいと思っていた。
ただ、歴史学の意義となるとどうしてもピンとこなかったのよ。
多分大部分の人は「過去の失敗に学ぶ」とか「故きを温め云々」とか言うんだろうけど、どうもその通説、前者は現実味に欠け、後者は具体性に欠けるんだよね。
人はその時時で最善の選択をするんだから、結果的には何十年も過去の失敗に学んで今の失敗をなくすなんて不可能だし(今まさに下した決断が未来には「失敗」って言われることになるかもしれないし)、古きよきったって基準がなけりゃあ応用がきかんでしょ。
だから、史学にとどまらず文系の学問は須らく娯楽であって、快楽以外の意義を問うのはカッコつけすぎ、って思ってたんだが…

最近、ふと史学の意義はこういうとこにあるんじゃないだろうか、ってことを思いついたのね。

それは、今うちらが当たり前に持ってる倫理観の大部分が、必要のないものだって教えてくれること。裏を返せば、「これだけは絶対必要だ」っていう倫理観を見つけるためのヒントをくれること、かな。

で、題の「純愛病」ですが。

例えば、「ひとりの人を終生愛するのが純潔」っていう観念。おかしいよこれは。
そりゃあ、害のある観念ではないからね、人が何かを根拠にそう思ってるだけなら全然OKさ。けど今ってなんかこの観念が常識としてまかり通ってる。
人は、この考えが江戸期に幕府の法によって打ち出され、それが時を経て庶民層に定着してきたものなんだってことを知らない。あたかも初めから絶対の真実であったかのように錯覚している。
例えば。
とある中世の古典に、女が夫の見ている前で他の男に姦淫される話がある。
この女は、話の中では犯された後も平然としていて、夫を「頼りない人ね」と責めるほどの余裕だ。
どうよこれ。このしたたかさ。
考えてみりゃこっちのが普通なんだよ。犯されたからって性病で死にでもしない限り、別に実質的な不利益は何もないんだもの。この時代子どもを産まないって考えは相当レアだっただろうから、できてたとしても、そこは暗黙の了解で夫との子どもってことにして育てるでしょ。
今の人間は、純愛病でこのしたたかさを失っている。
「ひとりを終生愛する」ことで得になるのは、まあせいぜい性病の伝播を防ぐことくらいか。昔はこれって結構重要なことだから、幕府によって「純潔」の観念として形づくられる以前にも、人々はこの観念の合理的な正しさってのはわかってたんだろう。だからこそ、「清純」の観念は簡単に普及した。で、今現在もなお力を強めてるわけだね。
だけど、これが行き過ぎて枷になってるってことに気が付くのはいつのことだろうね。
電車で痴漢に遭ったって別にいいじゃん。触られたからって何も実害はないでしょ。
汚れるって何さ、どういうものがどんなふうに汚れるの。
「嫌だ」って思うことが一番の実害なんだってこと、逆に、「嫌だ」って思わないようになるのが一番の実利なんだってことを、「観念」というものは忘れさせてしまう。
そして、多くの「観念」は絶対の真実ではなくて、歴史上のある時点で、権力者が便宜上、人々にそう義務付けただけのものに端を発してるんだ。
そんなのを真実みたいに思い込んで縛られてるんだぜ。
バカじゃん。

そういうわけで、歴史を見ることで切り捨てられる無駄な倫理観が、この他にも数多く存在するのではないかと思う。
そういう「枷」をどんどん取り払って、ダメージを受けにくい、理論的で冷静でしたたかな心を育ててくれるのが、歴史学。
って思う。
 

主人公の罠

 投稿者:七生踊  投稿日:2008年 5月 6日(火)15時46分26秒
返信・引用 編集済
  漫画やドラマや小説、特に事実や歴史に依拠しない全くのフィクションを書く人に、
ちょっと意識してもらいたいことがある。
それは、ハッピーエンドの作品では、主人公には絶対正義の立場が与えられているということ。

勘違いしないでほしいのは、「主人公を社会的に正しい人間像で描きなさい」ってことが言いたいわけじゃないのよ。
言いたいのは、いくら書き手にその意図がなくても、主人公が最後に成功を収めるからには、読み手の側で無意識のうちに「それが正」ってことになっちゃうんだよ、ってこと。
当然、その「正」像が社会に与える影響を考慮しなくちゃならない。

逃げない、諦めない、努力、仲間、夢、
あるいは偽善、不信、薄幸、反社会、反権力…

そんな価値観って、それが絶対的に利益をもたらすものだからではなくって、八割がた版権ものに影響されて出てきたものだって思うのはウチだけかな。
主人公は魅力があるよね。そいつと似た思考回路でいれば、なんとなくカッコよくなれた気がする。そういう投影が幼稚だって人はよく言うけれど、実際は大人でも充分あることでしょ?おかしなことじゃない。心理としては当然のことだよ。

だから、読み手じゃなく書き手に、気をつけろよって言いたいのさ。
自分の描く主人公がどれだけ人の価値観を左右するのか、しっかり考えて書けよと。
例えば少年誌にありがちな努力仲間第一主義…その主な読者層の生活の場である小・中学校には今、その価値観が絶対正であるかのようにはびこっているけれど、その価値観にはそんな支配的立場を与えられて然るべき根拠がどこかにあるのかい?その価値観からはみだしたヤツがどうなるのか、考えたことあるの?
例えば反社会反権力、偽善論…確かに人の内面を深く描くためには欠かせない要素でもあるだろう。だけど、読み手全員に読解力があるわけじゃないんだよ。ストーリーの中での主人公は時と場合によりけりでこんな価値観を提示してただけかもしれない。でも大部分の読み手は、その価値観自体が絶対的にカッコイイかのような錯覚を起こしてしまうだろう。


もちろんみんな大人なんだからさ、現実から色々学んでいくよ。一人ひとりを見てみればそんなに影響されてるヤツなんて寧ろいないよ。でも「風潮」として出てきちゃうよね、不思議なもんで。
なんとなく、周りは「これが正しい」と思ってるんじゃないだろうか。
そんな錯覚がみんなにあって、一人ひとりは「違うと思う」と言ったところで、全体の雰囲気は「そうだ」といっている。

そういう魔力が主人公にはついてまわるってこと、書き手はちゃんと理解してさ、作品の中で、主人公の持つ価値観の根拠や欠点をきちんと示していかなきゃいけないと思うね。
 

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