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(無題)

 投稿者:三浦典子  投稿日:2008年 5月12日(月)06時00分13秒
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  天網恢々疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)」  祈祷
自殺霊http://www.gokokuji.com/hiromi/soudan.form.htm

http://www.gokokuji.com/hiromi/

天網恢々 疎にして漏らさず。
『老 子』


「天網」は悪人をつかまえるために天が張った網のこと。

「恢々」は広くて大きいこと。

天の網は広大で網目が粗いように見えるが、けっして悪人を見逃すようなことはしない。

悪人には必ず天罰が下るということ。

『老子』73章の「天網恢々疏にして失わず」による。

(中国の思想書)



自分がなした悪事は自分にかならず返ってくる。自分がそれ以上、わるくならないように、めぐってくる。人はどこかで「やっていいこと」と「やってはいけないこと」の絶対的基準を理解しているのかもしれない。つねに葛藤しているんじゃないかと思う。
 自分のなした罪とおなじことを罰として受けさせているのは自分自身なんだと思う。そして、人はそれを罪として認識し反省する。「あー、こういうことだったのか」って感じる。

 よいわるいの基準が自分のなかにあるということは、けっこーやっかいなことでもあるが、自分が自分であるために必要なものなんだろうとも思う。わるいと思いつつやってしまうのは、ほんとはわるいとは認識していないんだと思う。でも、自分のなかには厳然とよいわるいの基準を持っていて。わるいことを自分がなしたときに、ちょっとした自己崩壊がおこる。「あれ、これって自分の基準ではわるいってことになってるのに、やっちゃってるよー」って。わるいことであることを意識して認知できるようにがんばろーとするんじゃないかな。で、体験して「あっー。これだったんだ。わたしがやってきたことって。」ってなる。



罪と罰

 さて、こー感じたことから2つのことを考えた。1つは、罪に与えられる罰について。1つは、健康について。
 罪に与えられる罰は追体験である必要があるんだろうと思う。社会的に犯罪をおかした人が高確率でおなじことを繰り返すのは、罪に与えられる罰が罪を認識するのには適していないんだろーと思う。つっこんだ言及はここではひかえることにする。罪をおかした人に対して、罪を与えることは、社会のしくみとしてむずかしいとは思うが。刑罰や死刑、罪について、5分でもいいから考えてみるきっかけになればと思い、ここに記す。

 はい。もう1つの健康について。
 「自分自身のなかには絶対的なよいわるいの基準がある」とすると、わるいことをなしたとき、意識しなくても自分のなかのバランスが崩れる。自分のなかの矛盾を排除しようとしているはず。そこで適切な反省ができないとなると、矛盾を結局は排除というか昇華しきれずに自分のなかに抱えてしまうことになる。そんなことが積み重なって自分の体のバランスがどんどん崩れていくんだろーと考察する。「わるいということはわかってるんだけど、ついつい」というのもあるだろうが、それは、やっぱりわかっていないんだと思う。感じていないと言い換えてもいい。それが自分のなかでわるいとは認識していないんだと思う。「社会的にわるいとされていることぐらいわかってますよ」という意味でしかない。法律とかだけでかたづけてしまうのは、非常にあやういと思う。

自分の声

 ただ、他者から「それはわるいことだよ」と警告をうけることは自分にとってプラスのサインだと思う。そのときに、ほんとにわるいことなのかどうか、考え抜きたい。答えはもちろん見つからないこともあるけど。考え抜くことでなにかを知るきっかけにはなると思う。

 自分の声を素直にきき、考え抜き、本質的に自分を大切にすることは、自分を愛して他者を愛するための最低限の前向きな気持ちだと思う。


天網恢々疎にして漏らさず
これは「老子」の中に出てくるかなり有名な言葉ですね。天の網は穴だらけのようだが、実は緻密に出来ていて悪を見逃すことはないという意味で、人生経験が深くなればなるほど肯けてくる言葉です。


聖書には「復讐するは我にあり」とあります。人間が手を出さなくても神が悪を糺してくれるというのですが、老子にも同じような言葉がありますよ。天に代わって不義を討とうとすると大怪我をすることになるというのですね。


その仕組みは、一つには「互殺の理」でしょう。我の強いものが同じような仲間を嗅ぎ分けて互いを憎みあうように、悪をなす者は同様の存在と対立してリバイバル競争を始める。だが、より根本的な仕組みは人間存在それ自身の中にあります。


   「道、一を生じ、一は二(陰陽)を生じ、二は三(陰陽と沖気)を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負い、陽   を抱き、沖気以て和をなす」(42章)


ビッグバンによって総エネルギーが解き放たれ、現にあるような宇宙が生み出された。では、それ以前には何があったかというと、無があったと天文学者は言います。この無を老子は道と呼びます。そして彼は道が生み出した万物には沖気というものが付帯すると考えた。沖気は万物を調和させる「気」ですが、これは人間の内部に第二意識という形で投影されているのではないかというのが私の考えです。


自殺霊http://www.gokokuji.com/hiromi/soudan.form.htm

http://www.gokokuji.com/hiromi/


第一意識は個人的エネルギーの状態を表示し、第二意識は総エネルギーの状態を表示する。第二意識は更にエネルギーを生み出した無=道への通路にもなっていて、私が体験した光はここから来ているように思われます。


われわれは、この万物を調和させる沖気からから離れて突出すると「奇となり、妖となって」自滅する。人間はそのように作られていると思いますね。別の言い方をすると、
エネルギーのアウトプット、インプットのバランスを配慮し、その平衡を取って生きていかねばならないということですよ。


必要以上の栄養を取り込めば、糖尿病とか肥満とかが待っています。そうならないためには、運動をしてエネルギーを放出してやらなければならない。権力を持てば、人間は必ず腐敗してダメになります。そうならないためには、「奉仕」「自己犠牲」によって
過剰な力を出してやらなければならない。過剰な資産や知識を抱え込んだ場合もアウトプットの方法を考える必要があります。


行き過ぎたと感じたら、そこでUターンして自然体に、低所に戻ることが肝要だと思います。これを老子は「早服」(早く道に戻る)と言っていますが、現代人に必要なのは早く道に復帰して「自滅の愚」を避けることではないでしょうか。
 
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